東日本大震災 3.11 時系列まとめ (貞観津波から震災後まで) ニュースで振り返る大津波と原発事故下の生活
東北地方太平洋沖地震発生時刻は、2011年 (平成23年) 3月11日金曜日 午後2時46分18.1秒。
第1波の津波到達までかかった時間は、気仙沼広田湾内で8分、宮古で15分。つまり、地震発生後、すぐに高台にかけ登らなければ助からない。
また、第一波よりも第2波、第3波の方が高い場合が多く、函館では8時間後に、九州宮崎では13時間後に、最大波高が来た。
第1部: 危機の1か月
西暦日時 | 本震との時間差 | 出来事 | 情 |
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2011年3月7日 | 4日前 | <4号機の奇跡>本来ならこの日に、4号機直上の原子炉ウエルに貯めた水を抜き取る予定だったが、治具が作り間違いのため使えず、作業は3月下旬にずれ込むことになる。奇しくもこの残された水が4号機燃料貯蔵プールの空だきを防ぐことになる。 | 朝日 |
2011年3月9日 | 2 日前 | ||
11:45 | 2 日前 | 三陸沖地震。M7.3 | 理 |
11:48 | 2 日前 | 津波注意報発出 青森県太平洋岸~福島。岩手で55cmを観測。 | 気 |
14:50 | 2 日前 | 津波警報解除 | 気 |
2011年3月10日 | 1 日前 | ||
6:28 | 1 日前 | 津波注意報発出 福島県沿岸。宮城で11cm観測、福島は観測されず。 | 気 |
7:30 | 1日前 | 津波警報解除 | 気 |
2011年3月11日 | 当日 |
金曜日。 |
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1:54 | 13 時間前 | 三陸沖でM5.4の地震。M5以上では最後の前震。 | 理 |
13:09 | 1時間37分前 | 岩手県宮古、干潮時刻。 | 気 |
13:31 | 1時間15分前 | 福島県相馬、干潮時刻。 | 気 |
14:46 午後2時46分18.1秒 |
本震 | 本震発生。北緯38度6分、東経142度51.6分。深さ24km。当初はマグニチュード7.9と発表していた(最終的にはモーメントマグニチュード9.0という破格の威力に上方修正される)。震度7:栗原市築館、6強:岩手県南部、宮城県、福島県浜通り、茨城県、栃木県などの一部。名古屋:震度4、鹿児島:震度1。 | 気 |
14:46 | 0 分後 | 本震の緊急地震速報発出14時46分40.2秒。 | 気 |
14:46 | 0 分後 | 東北新幹線、早期地震検知システムにより地震波が来る前にブレーキをかける。 | 鉄 |
14:47 | 1 分後 | 東京大手町、大きく揺れ始める。震度5強。東京タワーの先端アンテナ折れ曲がる。浦安で液状化。 | 気 |
14:49 | 3 分後 | 大津波警報発出 岩手、宮城、福島の3県。 (他に警報、注意報あり) | 気 |
14:49 | 3 分後 | 大阪、大きく揺れ始める。震度3。大阪府咲洲庁舎で内装材一部破損、エレベータに5人閉じ込め。 | 気・読 |
14:49 | 3 分後 | 東京大手町での最大加速度 241.7ガル。連動地震のため一番強い揺れが初めから3分後に来た。 | 気 |
14:53 | 7 分後 | 東京大手町、この時点でも震度2以上で揺れ続け、治まらない。 | 気 |
14:54 | 8 分後 | 気仙沼市広田湾沖GPS波浪計、津波高さ6mを観測。最初の大きな津波到達時間 | 気仙 |
15:00 | 14 分後 | 気仙沼消防署大島出張所、引き波を確認。 | 気仙 |
15:00 | 14 分後 | 東証ひける。東証急落179円安、10,254円43銭 | 朝日 |
須賀川市 藤沼ダム決壊。死者7人、不明者1人。 | NHK | ||
プロ野球オープン戦打ち切り。横浜スタジアム、横浜対ヤクルト7回コールド、明石球場楽天対ロッテ8回コールド。 | 朝日 | ||
15:01 | 15分後 | 宮古に津波第一波到達 | 気2 |
15:08 | 22分後 | 小名浜に津波第一波到達 | 気2 |
15:11 | 25 分後 | 気仙沼消防署大島出張所、押し波を確認。 | 気仙 |
15:13 | 27分後 | 銚子に津波第一波到達 | 気2 |
15:14 | 27 分後 | 大津波警報範囲拡大 青森県太平洋岸~外房(気) 釜石市に押し波到達。NHKは釜石港の冠水の様子を生中継(NHK) |
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15:15 | 28 分後 | 市原市のコスモ石油千葉製油所で発火。鎮火したのは3月21日10:10。 | 朝日 |
15:17 | 31分後 | 大洗に津波第一波到達 | 気2 |
15:18 | 32分後 |
大船渡で最大波高11.8mを観測 (気2) 巨大津波が猛威を振るう。東北沿岸部は壊滅的な被害。 3月20日の東北電力調査報告によれば、東北電力女川原発を襲った津波高さは13m。敷地自体が1m地盤沈下。1号機では損傷により外部電源が11時間にわたり使えず。2号機と3号機には、冷却系に海水が浸入。非常用発電機3台のうち2台が海水をかぶって作動できず。しかし、全電源喪失は免れる。 |
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15:21 | 35分後 | 八戸に津波第一波到達 | 気2 |
15:21 | 35分後 |
釜石で最大波高9.3mを観測(気2) この頃、釜石市をはじめ三陸沿岸、千葉県旭市まで大津波襲来(朝日)。釜石の状況の動画はNHK東日本大震災アーカイブスで視聴可能。当初は釜石港や宮古港の津波高さの観測値は4m以上と報道されたが、明らかに過少の値であった。 |
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15:26 | 40分後 | 宮古で最大波高8.5mを観測 | 気2 |
15:26 | 40分後 | 石巻市鮎川で最大波高7.7mを観測 | 気2 |
15:30 | 44 分後 | 大津波警報範囲が拡大 北海道東部太平洋岸~外房、伊豆諸島 | 気 |
15:35 | 49 分後 | 宮城県南三陸町志津川に大津波襲来。15:35~15:37の間で町を飲み込む。 | 河 |
15:36 | 50 分後 | 宮城県石巻市立大川小学校(犠牲者84名)で、津波の後、見つかった3つの時計のうち、ひとつは15時36分40秒を指して止まっている。残りの2台は37分46秒と38分53秒を指している。 | 河 |
15:37 | 51 分後 | 福島第一原発に津波襲来。1~5号機で全交流電源喪失。さらに、1,2,4号機では直流電源も喪失。電源喪失に伴い、1号機の非常用復水器(イソコン、IC)の弁が自動的に閉鎖動作を始める。途中で電源が切れ、圧力容器の内側の弁1と弁4は半開きの状態で止まったためICの能力を大幅に失う。またこの弁の状態は制御室では電源喪失のため表示されなくなる。 | 民調 |
15:39 | 53分後 | 小名浜で最大波高4.9mを観測 | 気2 |
15:40 | 53 分後 | この頃、気仙沼市鹿折地区で火災発生。鎮火は3月23日。 | 気仙 |
15:42 | 55 分後 | 東京電力は政府に「19条通報」。福島第一原発で全交流電源喪失が発生したため。 | 民調 |
15:44 | 57 分後 | えりも町庶野での最大津波到達時刻。 | 気 |
15:44 | 57 分後 | 東北6県大停電、456万戸。 | 河 |
15:50 | 1時間4分後 | 福島県相馬港で津波高さ7m30cmを観測 | NHK |
15:51 | 1時間5分後 | 相馬で最大波高8.9mを観測 | 気2 |
15:54 | 1時間7分後 | 仙台市名取川河口の大津波猛襲をNHKがヘリで生中継。解説者が「うわぁ」と声を漏らす。この動画はNHK東日本大震災アーカイブスで視聴可能 | NHK |
16:00 | 1 時間14分後 | 気象庁は、本震のマグニチュードをM8.4に上方訂正。 | 気仙 |
16:08 | 1 時間22分後 | 大津波警報範囲さらに拡大 北海道東部太平洋岸~内房、三浦半島~静岡、和歌山、徳島、伊豆諸島、小笠原 | 気 |
16:10 | 1時間 24分後 | 横浜に津波第一波到達 | 気2 |
16:11 | 1時間 25分後 | 父島二見に津波第一波到達 | 気2 |
16:21 | 2時間後 | 茨城県大洗港で津波高さ4m30cmを観測 | NHK |
16:37 | 2 時間後 | 都電荒川線 全線 運転再開 | 鉄 |
16:40 | 2 時間後 | 文部科学省は、原子力安全技術センターにSPEEDIシステムを緊急時モードに切り替えるように指示。東電の10条通報を受けて。ただし官邸がSPEEDIの存在を知るのは14~15日ごろと枝野官房長官は後に証言している。 | 民調 |
16:45 | 2 時間後 | この頃に、東京電力は政府に「15条通報」。1,2号機で電源喪失のため状況確認ができなくなり、非常用炉心冷却装置注水不能として通報。 | 民調 |
16:46 | 2時間後 | 父島二見で最大波高1.82mを観測 | 気2 |
16:52 | 2時間 6分後 | 大洗で最大波高5.0mを観測 | 気2 |
16:57 | 2時間 11分後 | 八戸で最大波高6.2mを観測 | 気2 |
首都圏で500万人の帰宅難民が発生。 | |||
17:00 | 2時間 14分後 | 高知県須崎港に津波第一波到達 | 気2 |
17:03 | 2時間後 | 宮崎県日南市油津での最大津波到達時刻。 | 気 |
17:13 | 2時間 27分後 | 宮崎県宮崎港に津波第一波到達 | 気2 |
17:22 | 2時間 38分後 | 銚子で最大波高3.5mを観測 | 気2 |
17:30 | 3 時間後 | 気象庁は、本震のマグニチュードをMw8.8に訂正。 | 気仙 |
17:30 | 3 時間後 | この頃、気仙沼市海上で火災発生。鎮火したのは3月20日。 | 気仙 |
17:38 | 2時間 54分後 | 横浜で最大波高1.55mを観測 | 気2 |
17:38 | 3 時間後 | 仙台での日の入り時刻。(東北地方大停電で、空には満天の星) | |
17:41 | 3 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
17:50 | 3 時間後 | 福島第2原発も政府に「19条通報」。 | 政調 |
18:06 | 3時間 20分後 | 那覇に津波第一波到達 | 気2 |
18:10 | 3 時間後 | 1号機、炉心露出始まったと、後の調査では推定される | 国調 |
18:18 | 4 時間後 | 1号機の非常用復水器 (IC) の圧力容器の外側にある弁2と弁3の表示灯回復。閉と表示されたため、1号機の冷却のため弁2と弁3を開く操作を試みる。弁1と弁4の状態は不明のまま。 | 民調 |
18:25 | 4 時間後 | 1号機の非常用復水器 (IC) の動作状態を発生するであろう蒸気から確認しようとするも、蒸気はわずかに出ただけで止まる。ICの空だきを懸念して、圧力容器の外側にある弁2と弁3を閉じる操作を試みる。 | 民調 |
18:26 | 4 時間後 | 東海道新幹線 全線 運転再開 | 鉄 |
18:50 | 4 時間後 | 1号機、炉心損傷始まったと、後の調査では推定される | 国調 |
19:03 | 4 時間後 | 政府、原子力緊急事態宣言 | NHK |
19:13 | 4時間後 | 三重県鳥羽で津波高さ1m80cmを観測 | NHK |
19:15 | 4時間後 | 東京湾晴海港で津波高さ1m30cmを観測 | NHK |
19:15 | 4 時間後 | 「3月11日のマーラー」すみだトリフォニーホールで新日本フィルハーモニー交響楽団演奏会始まる | NHK |
19:34 | 5時間後 | 北海道森町で津波高さ1m80cmを観測 | NHK |
19:35 | 5 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
19:36 | 5時間後 | 名古屋での最大津波到達時刻。 | 気 |
19:43 | 5時間後 | 岩手県宮古、満潮時刻。 | 気 |
20:01 | 5時間後 | 福島県相馬、満潮時刻。 | 気 |
20:40 | 6 時間後 | 銀座線 全線で運転再開するも、混雑のためすぐに運転見合わせ | 鉄 |
20:40 | 6 時間後 | 半蔵門線、渋谷~九段下 運転再開 | 鉄 |
20:40 | 6 時間後 | 大江戸線、全線 運転再開 | 鉄 |
20:50 | 6 時間後 | 福島県が、大熊町と双葉町に、原発から2キロ以内の住民を避難させるように要請する | 朝日 |
20:59 | 6時間 13分後 | 高知県須崎港で最大波高3.2mを観測 | 気2 |
21:00 | 6 時間後 | この頃に、浅草線、三田線など部分的に運転再開 | 鉄 |
21:00 | 6 時間後 | この頃に、班目春樹原子力安全委員会委員長は官邸に到着。「保安院が何かやってくれているんだろう」と期待していたが、保安院は対応に手間取っている状態であった。 | 民調 |
21:12 | 6時間 26分後 | 那覇で最大波高0.60mを観測 | 気2 |
21:23 | 7 時間後 | 政府は、福島第一原発の半径3km以内の住民に避難指示。10km圏内に屋内退避指示。 | |
21:30 | 7 時間後 | 1号機の非常用復水器 (IC) の弁2と弁3を、今後操作不能になることに備え、開ける操作を試みる。 | 民調 |
21:51 | 7 時間後 | 1号機原子炉建屋で放射線量が上昇したため立ち入りを禁止する | 朝日 |
21:55 | 7 時間後 | 西武鉄道、大部分運転再開 | 鉄 |
22:00 | 7 時間後 | 保安院は会見で、1号機の炉心の水位はまだ十分に高いという認識を示す。しかし、これは水位計の故障による誤りであった。炉には、水などとうに無かった。炉心溶融という、あまりの高温になると水位計は正確に作動しない。 | |
22:10 | 7 時間後 | 京王、大部分運転再開 | 鉄 |
22:20 | 8 時間後 | JR東日本は、仙石線の普通列車1本と連絡が取れないと発表。 | 鉄 |
22:30 | 8 時間後 | 仙石線野蒜駅付近で、L字型に脱線した列車が発見される。 | 鉄 |
22:35 | 8 時間後 | ドル円、一時円安 (83円30銭) に振れるも、円高(82円30-40銭)に戻す。 | 朝日 |
22:35 | 8 時間後 | 千代田線、大手町~表参道で再開するも、混雑のためにすぐに運転見合わせ | 鉄 |
22:37 | 8 時間後 | この頃に、有楽町線 池袋~新木場 運転再開 | 鉄 |
22:41 | 8 時間後 | 宮城県警 仙台市若林区荒浜地区で200~300人の遺体を発見と発表 | 日経 |
22:43 | 8 時間後 | 東急、大部分運転再開 | 鉄 |
22:50 | 8 時間後 | 銀座線 再び全線で運転開始 | 鉄 |
22:53 | 8 時間後 | 大津波警報範囲さらに拡大 北海道東部太平洋岸~内房、三浦半島~静岡、和歌山、徳島~高知、伊豆諸島、小笠原。 (大津波警報範囲のピーク) | 気 |
23:00 | 8 時間後 | 丸ノ内線、全線 運転再開 | 鉄 |
23:10 | 8 時間後 | この頃に、東西線、高田馬場~妙典 運転再開 | 鉄 |
23:15 | 8 時間後 | 横浜市営地下鉄、全線 運転再開 | 鉄 |
23:35 | 8時間後 | 函館での最大津波到達時刻。 | 気 |
23:40 | 9 時間後 | この頃に、日比谷線、上野~中目黒 運転再開 | 鉄 |
23:50頃 | 9 時間後 |
1号機の格納容器の圧力が設計上の限界を大幅に超えていることが判明。(朝日) |
西暦日時 | 本震との時間差 | 出来事 | 情 |
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2011年3月12日 | 2 日目 |
土曜日。 福島県相馬市では、晴れ、気温 -1.6~10度。 仙台では、晴時々曇一時雪、のち快晴、気温-2.5~6.2度。 外国への津波の到達最大波高:アメリカ・カリフォルニア州クレセントシティ 247cm、チリ・アリカ 245cm、エクアドル・サンタクルーズ島 226cm、メキシコ・マンサニヨ 170cm、ペルー・ラプンタ 144cm、トンガ・ヌクアロファ 124cm、パプアニューギニア・ロンブラム 108cm。 |
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九州新幹線鹿児島ルート全面開業。 | |||
0:00 | 9 時間後 | 副都心線 渋谷~池袋間 運転再開 | 鉄 |
0:00 | 9 時間後 | 小田急、大部分 運転再開 | 鉄 |
0:30 | 10 時間後 | この時点で、東北上越新幹線で17本の列車に乗客が閉じ込め。 | 鉄 |
0:35 | 10 時間後 | 千代田線、霞ヶ関~代々木上原で再開するも、混雑のためにすぐに運転見合わせ。 (再開後混雑中止は2度目) | 鉄 |
0:55 | 10 時間後 | この頃に千代田線、霞ヶ関~代々木上原で再び運行 3度目の復旧 | 鉄 |
1:09 | 10 時間後 | 日比谷線、全線再開 | 鉄 |
1:30頃 | 11 時間後 | 東京電力は、政府に対して、1号機と2号機のベントを申し入れ、了承を得る | 朝日 |
1:58 | 11時間後 | 土佐清水での最大津波到達時刻。 | 気 |
3:11 | 12 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
03:33 | 12時間 49分後 | 宮崎県宮崎港で最大波高1.64mを観測 | 気2 |
3:59 | 13 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 長野県北部地震 | 気 |
3:59 | 13 時間後 | 長野県北部地震。栄村で震度6強。負傷者57人。 | 理 |
4:00 | 13 時間後 | 1号機へ、消防車を使い、淡水注入開始。(東電事故調)この頃、敷地内の放射線量が上昇しはじめる。(朝日) | |
4:08 | 13 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
4:16 | 13 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
4:31 | 14 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 長野県北部 | 気 |
5:00 | 14 時間後 | 京浜急行、大部分の再開。5時台で全線復旧。 | 鉄 |
5:11 | 14 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
5:42 | 15 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
5:44 | 15 時間後 | 政府は、福島第一原発の半径10km以内の住民に避難指示を拡大。 | |
5:46 | 15 時間後 | 「1号機、淡水注入開始」 (国調) 、「注水ライン形成」 (民調) | |
5:47 | 15 時間後 | 福島第2原発も「15条通報」 | 政調 |
5:52 | 15 時間後 | 仙台での日の出時刻 | |
6:00 | 15 時間後 | 富岡町が全町民に対して避難指示を出す | 朝日 |
6:07 | 15 時間後 | 浪江町が、福島第一原発10km圏内の町民に対して避難指示を出す | 朝日 |
6:10 | 15 時間後 | 京成、大部分を再開。本線は京成上野~八千代台まで。 | 鉄 |
6:19 | 16 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
6:21 | 16 時間後 | 大熊町が、福島第一原発10km圏内の町民に対して避難指示を出す。(その後、全町民を対象に避難指示を出す) | 朝日 |
6:34 | 16 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
6:48 | 16 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
6:50 | 16 時間後 | 海江田経産大臣、1号機のベント実施を命令 | 国調 |
7:00 | 16 時間後 | この頃までに、東武東上線、横浜線、りんかい線など再開 | 鉄 |
7:11 | 16 時間後 |
班目春樹原子力安全委員会委員長は、同行したヘリ機中にて、水素爆発が起こるのかという問いに対して、「格納容器のなかでは窒素で全部置換されていて酸素がないから爆発はしない」と答えたが、後の1号機水素爆発で一気に菅総理の信頼を失うこととなった。 |
民調 |
7:30 | 17 時間後 | 双葉町が、全町民に対して避難指示を出す | 朝日 |
7:35 | 17 時間後 | この頃、中央総武線、高尾~千葉 運転再開 | 鉄 |
7:45 | 17 時間後 | 政府は、福島第二原発にも、半径3km以内の住民に避難指示。10km圏内に屋内退避指示。 | |
8:00 | 17 時間後 | 山手線全線、東海道線 (東京~熱海) 、運転再開 | 鉄 |
8:00 | 17 時間後 | 楢葉町が、全町民に対して避難指示を出す | 朝日 |
8:30 | 18 時間後 | 双葉病院とドーヴィル双葉の435人の避難行、始まる。(死者多数となる避難) | 民調 |
9:00 | 18 時間後 | この少し前、清水東電社長は、東京の東電本店に帰還。震災当日は電気事業連合会会長として関西視察中だった。小牧基地から輸送機で戻ろうとしたが、一旦離陸後、政府判断で引き返す。結局、借り上げた民間ヘリコプターで東京新木場に戻った。 | 国調 |
9:04 | 18 時間後 | 1号機のベントのために、運転員が原子炉建屋へ出発 | 朝日 |
9:05 | 18 時間後 | この頃、京浜東北線、神田~大宮 運転再開 | 鉄 |
9:10 | 18 時間後 | つくばエクスプレス、秋葉原~八潮 再開 | 鉄 |
10:00 | 19 時間後 | 福島第一原発のモニタリングポストで、放射線量の小さな上昇を観測。 | |
11:00 | 20 時間後 | この頃から東武伊勢崎線系統の大部分再開 | 鉄 |
11:36 | 21 時間後 | 3号機、原子炉隔離時冷却系 (RCIS) が止まる。地震直後から稼働し続けていた。 | 国調 |
12:35 | 22 時間後 | 3号機、高圧注水系(HPCI)が自動起動。 | 民調 |
13:00 | 22 時間後 | 浪江町は、福島第一原発から20km圏内の町民に避難指示。町役場を原発から30km離れた津島地区へ移転決定 | 朝日 |
13:50 | 23 時間後 | 大津波警報範囲縮小 青森県太平洋岸~福島に。 | 気 |
14:30 | 24 時間後 | 1号機、ベント実現。北西方向の浪江町、葛尾村、飯舘村、川俣町方向が放射能に汚染される (22時頃まで) 。 | 国調、WSP |
14:53 | 24 時間後 | 1号機への淡水が枯渇。同54分、吉田所長、海水注入を指示。 | 国調 |
15:30 | 25 時間後 | 1号機、海水注入準備完了 | 国調 |
15:30 | 25 時間後 | この頃日本テレビは、保安院が注水作業のために自衛隊に出動要請と報じる。1号機でセシウム検出を受けて。 | NNN |
15:36 | 25 時間後 | 1号機、建屋が水素爆発。がれき飛散し作業に大きな支障。 (相馬市での風向風力、15時は南南東風、風速2.8m。16時は南東風、風速2.0m。以降18時まで南東寄りの風が続く) 一説に、この爆発の衝撃で2号機建屋のブローアウトパネルが外れ、このため後で2号機建屋の水素爆発は免れる。 |
国調 |
15:40 | 25 時間後 | 福島中央テレビ、1号機水素爆発の映像を放送。 | NNN |
16:00 | 25 時間後 | 上越新幹線、長野新幹線 全線再開 | 鉄 |
16:00 | 25 時間後 | この頃、勝俣東電会長は中国から成田空港経由で東京の東電本店に帰還。震災当日は副社長とともに中国出張中だった。 | 国調 |
16:21 | 26 時間後 | 保安院、記者会見を延期。 | NNN |
17:39 | 27 時間後 | 政府が、福島第2原発についても、10キロ圏内の住民に避難指示を出す | 朝日 |
17:39 | 27 時間後 | 仙台での日の入り時刻 | |
17:46 | 27 時間後 | 枝野官房長官が記者会見。テレビ中継。「何らかの爆発的事象を確認。万全を期す」 | NNN |
17:55 | 27 時間後 | 海江田経産大臣、1号機への海水注入を命令 | 国調 |
18:25 | 28 時間後 | 政府は、福島第1原発の半径20km圏内に避難指示を拡大。 | 朝日 |
19:04 | 28 時間後 | 1号機へ、消防車を使い、海水注入開始。 | 国調 |
19:25 | 29 時間後 | 吉田所長、1号機への海水注入中止を東電本店へは宣言するが、実際はこっそり継続させる。 | 国調 |
19:51 | 29 時間後 | 根岸線 桜木町~大船再開 (根岸線区間は全て再開) | 鉄 |
20:10 | 29 時間後 | 田村市が、都路地区全域に避難指示を出す。 | 朝日 |
20:20 | 30 時間後 | 大津波警報を津波警報に格下げ | 気 |
21:00 | 30 時間後 | 菅総理会見。輪番停電の政府了承を発表。声を詰まらせ「国難」と表現。 | |
22:15 | 31 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
22:24 | 32 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
22:27 | 32 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
23:35 | 33 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
23:43 | 33 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
23:55 | 33 時間後 | テレビ東京は通常放送に復帰 「テガミバチ REVERSE」を放送。テレビ通常体制復帰第一号。「レギュラー復帰した12日、および13日の件数ですが、電話とメールを通して、抗議が約600件。普通の日常を待っていた、応援していますという声が約90件でした。」 (後の社長会見) |
西暦日時 | 本震との時間差 | 出来事 | 情 |
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2011年3月13日 | 3 日目 |
日曜日。 福島県相馬市では、晴れ、気温-2.1~18.1度。 仙台では、晴れ。気温-0.5~16.6度。 |
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2:42 | 36 時間後 | 3号機、注水のため、高圧注水系(HPCI)を手動で止め、主蒸気逃し安全弁(SR弁) を開こうとするもバッテリー枯渇のためか失敗。HPCIの再起動にも失敗。社員の自動車のバッテリーを集めることにする。 | 民調 |
5:51 | 39 時間後 | 仙台での日の出時刻 | |
5:58 | 39 時間後 | 東電、3号機の原子力緊急事態を政府に報告 | 朝日 |
6:40 | 40 時間後 | この頃までに、つくばエクスプレス、全線再開 | 鉄 |
7:30 | 41 時間後 | 津波警報を津波注意報に格下げ | 気 |
8:25 | 42 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
8:30 | 42 時間後 | いわき市が、久ノ浜地区、大久地区の市民に自主避難を要請 | 朝日 |
8:41 | 42 時間後 | 3号機、ベントラインの構成完了。 (以降、13日夜にかけて、弁の開状態を維持するための圧搾空気の確保作業を断続的に続ける。) | 民調 |
9:08 | 42 時間後 | 3号機、急速減圧操作を実施。10~24分の間にベント実現。 (相馬市での風向風力、9時は北北東風、風速2.1m。10時は西南西風、風速1.7m。) | 民調 |
9:10 | 42 時間後 | 3号機、炉心露出が始まったと、後の調査で推定 | 国調 |
10:26 | 44 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
10:40 | 44 時間後 | 3号機、炉心損傷が始まったと、後の調査で推定。水素ガスが発生し、3~4号機の建屋に溜まる。 | 国調 |
11:00 | 44 時間後 | 広野町が、全町民に対して避難指示を出す | 朝日 |
11:00 | 44 時間後 | 海自ちょうかい、漂流者発見救助。双葉町沖15km | 朝日 |
11:00 | 44 時間後 | 2号機、この頃までに、ベントラインの構成完了。 | 民調 |
12:20 | 46 時間後 | 3号機、防火水槽にあった注水用の淡水が枯渇。 | 民調 |
12:55 | 46 時間後 | 気象庁は、本震のマグニチュードをMw9.0に上方修正。(今までのところ、最後の訂正である。) | 気仙 |
13:12 | 46 時間後 | 3号機、海水注入開始。 | 民調 |
17:40 | 51 時間後 | 仙台での日の入り時刻 | |
17:58 | 51 時間後 | 津波注意報を全て解除 | 気 |
20:22 | 54 時間後 | 東電社長会見し、計画停電のグループ分けと時間割を発表。準備に手間取り、実施前夜の発表。 | 朝日 |
20:22 | 54 時間後 | 計画停電のグループ分け、翌日未明まで配布資料の修正などが続く。「供給の再開を迅速に行うため、グループを分散化」 (東電) 。難解であり、例えば宇都宮市がグループ1にも,3,5にも含まれる記載で、詳細が分からない。東京23区は、当初8区が予定されるが、21日以降は荒川区と足立区のみで実施。 |
西暦日時 | 本震との時間差 | 出来事 | 情 |
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2011年3月14日 | 4 日目 | 週明ける。月曜日。福島県相馬市では晴れ、気温-0.9~20.8度。 「南三陸で1000遺体」 (朝日) 。「廃墟 家族捜して 園バス 抱き合うように 宮城・石巻」 (朝日) 最初の計画停電決行、「計画停電きょうから」 (読) 。 3号機建屋水素爆発。2号機冷却途絶え炉心損傷。「燃料棒 全て露出」 (読3/15)、「高濃度放射能 放出」 (朝日3/15)。 東北電力も計画停電を検討 (河) 。 放射能の放出は、午後に一瞬多いが、全般的に少ない。 |
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この日、武藤栄東京電力副社長が記者会見をするにあたり、「炉心溶融という言葉を会見で使わないように」と、清水正孝東電社長が社員を介して指示。これは官邸による指示であるという風説が存在していたが、新潟県と東電による合同検証委員会は2017年12月26日に、官邸による指示の存在を否定する調査結果を公表した。指示をしたのは清水社長本人であるとの判定。 | 朝日 | ||
JR東日本、首都圏の列車運行2割。 | 朝日 | ||
1:00 | 58 時間後 | 3号機、圧力が上昇に転じる。ベント弁の一つが閉止したと考えられる。 | 民調 |
4:08 | 61 時間後 | 4号機の燃料プールの温度測定したところ摂氏84度。事故前は27度だった。蒸発空だきのリスクが注目される。 | 規委 |
5:49 | 63 時間後 | 仙台での日の出時刻 | |
8:00 | 65 時間後 | 盛岡のデパ地下でガスもれ? 爆発1人死亡 | 朝日 |
11:01 | 68 時間後 | 3号機、建屋が水素爆発。この衝撃で2号機のベントラインの弁が閉まる。東電社員、協力会社社員、自衛隊員らが負傷。復旧作業中断。 | |
12:00 | 69 時間後 | 2号機、原子炉水位の急な低下が始まる。 | 民調 |
13:25 | 71 時間後 | 2号機、原子炉隔離時冷却系 (RCIC) が停止したと判断。東電は政府に「15条通報」。 | 国調 |
15:52 | 73 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
16:25 | 74 時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
17:00 | 74 時間後 | 2号機、この頃に炉心露出が始まったと、後の調査で推定される。 | 国調 |
17:00 | 74 時間後 | 計画停電が初めて実施される。第5グループの11万世帯が停電。最長18:30まで。 | 朝日 |
17:00頃 | 74 時間後 | 保安院の職員は福島第一原発からオフサイトセンターへ退避 | 朝日 |
17:41 | 75 時間後 | 仙台での日の入り時刻 | |
18:22 | 76 時間後 | 2号機、この頃に燃料棒が完全に露出した、後の調査で推定される。 | 民調 |
19:20 | 77 時間後 | 2号機の圧力がさがり注水できるようになったももの、注水するための消防車が燃料切れでできず。 | 朝日 |
19:57 | 77 時間後 | 2号機への継続的な海水注入が軌道に乗る。 | 民調 |
20:00 | 77 時間後 | この頃、福島第一原発のモニタリングポストで、放射線量の中程度の上昇を観測。(国調) こうした放射能の放出量の上昇の原因について、NHKスペシャルでは、海水注入の大半が別の配管ラインに漏れてしまい、ごくわずかしか炉に入らなかったことと、少量の水がかえって炉内の熱移動を起こし、燃料の損傷を促進したとする説を挙げている。 この頃から、翌3月15日15時ごろまで、南南西方向 (富岡町、楢葉町、遠くは群馬県山間部) が放射能に汚染される(WSP)。 |
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21:15 | 78 時間後 | 葛尾村が、全村民に対して避難指示を出す | 朝日 |
西暦日時 | 本震との時間差 | 出来事 | 情報源 |
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2011年3月15日 | 5 日目 | 火曜日。福島県相馬市では、曇り・雨、気温は3.1~10.7度。被災地の多くは夜から雪。 「運命の日」 (民調) 。4号機建屋水素爆発。 気温冷え込み、計画停電実施。 放射能の放出は、全般的に多く、特に未明と昼と深夜にピークがある。南西方向(茨城、栃木、群馬、埼玉、東京)の汚染を引き起こす。 |
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「運命の日」この日以降、放射性物質の放出が大幅に増える。 政府の危機感はピークに。2号機が高圧メルトスルーし、4号機プールが空だきとなれば、福島第1原発のみならず、福島第2原発、東海原発にも近づけなくなり、東京も避難範囲内に入ってしまうシナリオも想定。 実際は、この日、4号機の燃料プールに水が流れ込み水位が回復したと推測される。これは建屋の爆発によるものか、蒸発によって生じた水位差によるものか、詳しいことは分かっていない。また、2号機は4号機建屋爆発とともに圧力が下がったらしい。爆発の影響で2号機のどこかが小さく裂け、結果的に外部にむきだしの破裂は防がれた。この2つの奇跡的な強運によって、最悪のシナリオは回避された。 この日以降は、既存の設備を使った停止操作から、放射能と津波と水素爆発の危険を冒しながらの外からの放水と注水の実施へと、事故対応の性格が変わる。 福島第2原発は、この日までに冷温停止に成功。INESレベル3「熱除去機能の喪失」の事故で済む。 |
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石巻市 25歳男性 4日ぶり救助 | 朝日 | ||
ルフトハンザ、成田発着を見合わせ | 朝日 | ||
みずほ銀行、義援金送金の処理が追いつかず、システムトラブル起こる。 | 朝日 | ||
東北新幹線、東京~那須塩原間再開。 | 鉄 | ||
0:00すぎ | 81時間後 |
2号機のドライベントに失敗したとみられる(朝日) いつ爆発してもおかしくなく、最悪の事態が目前となる。「われわれのイメージは東日本壊滅。本当に死んだと思った」(吉田所長、政府事故調の「吉田調書」) |
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1:36 | 83時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
4:30 | 86時間後 | 浪江町が、全町民に対して避難指示を出す | 朝日 |
5:33 | 87時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
5:40 | 87時間後 | 菅総理大臣、東電本店に乗り込む。事故対策統合本部立ち上げ。「覚悟を決めてください。撤退したときは東電は100%つぶれます」と発言。 | 朝日 |
5:48 | 87 時間後 | 仙台での日の出時刻 | |
6:10 | 87時間後 | 4号機、建屋が水素爆発。 <2号機の奇跡>同時刻、2号機の圧力抑制室の圧力の指示値がゼロになるが、その原因や詳細はいまだ不明である。結果的に、2号機が外部へむきだしで破裂するという最悪の事態、東日本滅亡は回避された。(とはいえ、放射性物質は大量に漏れた。) 放射能の大量放出。 (相馬市での風向風力、6時は南西風、風力0.7m、7時は東北東風、風力1.5m、以降12時まで北東よりの風、午後からは微風。) |
民調、気 |
6:30 | 88時間後 | いわき市が、小川地区と川前地区の一部市民に自主避難を要請する | 朝日 |
7:00 | 88時間後 | この頃、福島第一原発から、必要最低限の人員を残し、作業員650人が、福島第2原発に一時撤退。 | 民調 |
7:29 | 89時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
この日午前 |
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天皇皇后両陛下は、前原子力委員会委員長代理を皇居に招いて原発の仕組みと安全対策について説明を受ける。 |
宮内庁 |
9:20 | 91時間後 | 計画停電を実施。500万世帯が停電。22:00終了 | 朝日 |
11:00 | 92時間後 | 政府は、福島第一原発の20~30km圏の住民に屋内退避を要請。これに伴い事故対応するはずだった拠点「オフサイトセンター」を福島県庁に移転。政府は、原発作業者の緊急時被曝限度を100mSvから250mSvに引き上げ。 | |
13:00 | 94時間後 | 三春町、独自に町民に安定ヨウ素剤を配布。 | 政調 |
15:00 | 96時間後 | 放射能汚染の方向が、南西から西に変わり、福島県中通りが汚染される。3月15日17時までにかけて、汚染の方向が西、そして北西に変わる。 | WSP |
17:42 | 99時間後 | 仙台での日の入り時刻 | |
20:31 | 102時間後 | 静岡県東部。富士宮市で震度6強。 | 理 |
21:00 | 102時間後 | この頃、放射性物質の放出多し。北西方向(浪江町、葛尾村、飯舘村、川俣町)が強く汚染される。降雨を伴ったため、汚染が激しい。原発から北西に延びる強い汚染帯の痕跡は、この降雨の結果である。 | WSP |
22:31 | 104時間後 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
西暦日時 | 本震との時間差 | 出来事 | 情報源 |
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2011年3月16日 | 6 日目 | 水曜日。福島県相馬市では、曇り・雪、気温-1.4~6.5度。東北は雪。 「避難者43万4千人」 (朝日) 。1~2月並の寒さ。 三陸鉄道北リアス線、久慈~陸中野田で運転再開 (鉄) 放射能の放出は、未明と午後に多い。 |
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予備自衛官と即応予備自衛官を災害招集。史上初の招集命令。(戦後これまでなかった、戦争並の体制に) | 防衛省 | ||
米国原子力規制委員会(NRC)は、在日の米国民に福島第一原発から半径50マイル (80km)からの避難を勧告。4号機の燃料プールが干上がるリスクを懸念し、前日までの日本政府の避難指示の踏襲をやめ、独自の判断に切り替える。 | 民調 | ||
南相馬市が、全市民に避難を呼びかける | 朝日 | ||
東北電力もこの日からの計画停電を準備するも、電力需要の減少のため、結局一度も実施されなかった。 | |||
民放各局、頻繁に放送されていたACジャパンのコマーシャルのサインドロゴを消音 | |||
0:00 | この頃、福島第一原発のモニタリングポストで、放射線量の大幅な上昇を観測。 (相馬市での風向風力、0時は南西風、風力1.5m) | 国調、気 | |
2:40 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
6:40 | 計画停電を早朝から実施。1000万世帯。 | 朝日 | |
7:30 | 川内村が、全村民に対して避難指示を出す | 朝日 | |
10:00 | この頃から11時まで、福島第一原発のモニタリングポストで、放射線量の大幅な上昇を観測。 (相馬市での風向風力、10時は東北東風、風力1.3m、11時は東北東風、風力1.7m、12時は北風、風力3.7) | 国調、気 | |
10:30 | この頃、安中市の県道で交通事故。1名死亡。計画停電で信号が消灯中だった。 | 朝日 | |
12:23 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
12:53 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
天皇皇后両陛下は、東大教授を皇居に招き放射線被曝について説明を受ける | 宮内庁 | ||
14:00 | 放射能の放出で、東方向の海が汚染される。 | WSP | |
16:00 | 4号機の燃料プールに水が残っていることを、自衛隊のヘリコプターから確認(4号機の奇跡を人々は初めって知った) | 朝日 | |
16:35 |
突如、テレビ各局一斉に、天皇陛下のビデオメッセージを放送する。天皇が自主的にテレビメッセージを企画し発することは初めて。録画ながらも収録は当日午後に行われたものであった。録画には皇后陛下も立ち会っていた。放送開始時刻は中途半端な16時35分であり、非常に急いで決行されたのである。「平成の玉音放送」とも言われる。 (なお水面下で内閣は、天皇に京都か京都以西に避難するよう非公式に打診していた。悠仁さまの京都への避難も提案。天皇は、国民が避難していないとして、峻拒。(共同通信2020年12月30日報)) |
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19:30 | この頃、NHKのニュース番組で、この日被災地で赤ちゃんが生まれたという珍しく明るいニュースを取り上げたが、それを伝える武田真一アナウンサーが涙声となる。 | ||
22:00 | 計画停電終了。この日までで、計画停電によってエレベータに閉じ込められたトラブルは122件。 | 朝日 |
西暦日時 | 本震との時間差 | 出来事 | 情報源 |
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2011年3月17日 | 7 日目 |
木曜日。福島県相馬市では、晴れ、気温-2.9~5.0度。全国的に冷え込み、被災地には無情の雪。電力最も逼迫し、最大の輪番停電が実施される。 |
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7:00 | 最大規模の計画停電開始。のべ1820万世帯。気温低く電力需給逼迫。1日2度停電のグループも発生。22:00終了 | 朝日 | |
9:48 | 陸自ヘリ、3号機燃料プールへ水投下開始。合計4回。 | 朝日 | |
昼頃 | 水産庁の取締船白竜丸が石巻市表浜地区に到着。食料と燃料を渡す。その際、住民からメッセージを伝えてほしいとたのまれ、翌朝まで停泊。チラシの裏などのありあわせの紙に書いたメッセージを受け取り、乗組員がデータ入力して、水産庁のホームページで公開した。 | 朝日 | |
19:35 | 三自衛隊、消防車で3号機へ放水 | 朝日 | |
21:32 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
2011年3月18日 | 8日目、 1週間経過 | 金曜日。福島県相馬市では、晴れ、気温-4.9~7.8度。全国的に冷え込む。 「戦後最悪 死者6911人」(河) 天皇皇后両陛下は、海上保安庁長官を皇居に招いて救助救援活動について説明を受ける。 (宮内庁) 放射能の放出は、全日にわたって多い。 |
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「本社」東京離れる動き | 朝日 | ||
6:20 | 計画停電実施。気温やや上昇し、1日2度停電は回避。1400万世帯。22:00終了 | 朝日 | |
9:00 | G7為替介入開始 81円台に | 朝日 | |
2011年3月19日 | 9 日目 | 土曜日。福島県相馬市では、晴れ、気温-1.9~16.3度。西日本では春一番。 東京消防庁3号機へ放水敢行。 気温上がり計画停電回避。「被災地の避難者33万5千人」 (朝日)。 NHK朝ドラ再開。 放射能の放出は、全日にわたって多く、特に昼に多い。 英仏米、リビアに軍事介入。 |
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農産物 基準超す放射能 県「出荷自粛を」(朝日) 「福島県産及び茨城県産食品から食品衛生法上の暫定規制値を超過した放射性物質が検出された件について」 (厚労省発表) 福島県産生乳(放射性ヨウ素が1000Bq/kg程度)、茨城県産のほうれん草(放射性ヨウ素と放射性セシウムで)が基準値超える |
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1:55 | 東京消防庁3号機燃料プールへ放水。「消防放水 『命中を確信』 涙の隊長、家族におわび」 (朝日)これ以降、連続注水が可能になり、3号機の燃料プールの危機は峠を越す。 | 朝日 | |
8:33 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
18:56 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
18:57 | 余震の緊急地震速報発出 18時57分6秒 | 気 | |
18:57 | 余震の緊急地震速報発出 18時57分13秒 | 気 | |
2011年3月20日 | 10 日目 |
日曜日。計画停電回避。 東電の勝俣会長は、仙谷由人官房副長官に面会。原発事故の賠償責任について、原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)の第3条の但し書きを適用し、無限責任を免除することを依頼するが、拒否される。(朝日) |
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14:19 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
16:00 | 石巻市 89歳と孫、9日ぶり救出 | 朝日 | |
2011年3月21日 | 11 日目 | 月曜日。計画停電回避 放射能の放出は、未明まではやや多いが、午後から少なくなる。 |
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5:00 | この頃から終日まで、放射能は南方向を汚染。茨城県ほぼ全域が汚染される。12時頃に千葉県北西部、15時ごろに東京都23区西部、調布市、神奈川県小田原市にかけて汚染。降雨を伴ったため、茨城県南部と千葉県北西部に、強い汚染地域を残す。 | WSP | |
10:10 | 市原市のコスモ石油千葉製油所の火災鎮火。3/11 15:15発火 | 朝日 | |
2011年3月22日 | 12 日目 | 火曜日。 「犠牲者 土葬始まる 東松島市」(朝日) 放射能の放出は、全日にわたってやや少ないが、北風かつ雨がちであり、東京近郊の関東地方が放射能で汚染される。 |
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東武鉄道、スペーシア (きぬ) の運転を再開し、東京~会津のルートを確保。 | 鉄 | ||
東北新幹線、盛岡~新青森運転再開。 | 鉄 | ||
9:20 | 計画停電はじまる。22:00終了 | ||
12:38 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
2011年3月23日 | 13日目 | 即応予備自衛官招集、編成完結式、多賀城駐屯地。 東京都、23区と多摩地区5市の乳幼児の水道水摂取を控えるように呼びかけ。ミネラルウォーターが商店や自販機から払底する。 選抜高校野球開幕。 皇后陛下は、日本看護協会会長を皇居に招いて救護活動について説明を受ける。 (宮内庁) 放射能の放出は、全日にやや少ない。 |
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JR西日本、列車部品不足のため、4月から運転本数を減らすことを発表。 | 朝日 | ||
大船渡市赤崎中で青空卒業式 | 朝日 | ||
JR貨物は、磐越西線経由で横浜根岸から郡山へ石油輸送を開始。いつもはのどかなローカル線が被災地救援の大動脈となる。 | 鉄 | ||
1:12 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
7:12 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
7:36 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
7:48 | 気仙沼市鹿折地区での火災鎮火。12日間燃え続けた。 | 気仙 | |
7:48 | 気仙沼市海上発火火災が鎮火。焼失面積は103,199平米。焼損山林22,212a。 | 気仙 | |
8:47 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
15:20 | 計画停電はじまる。22:00終了。 | ||
17:00 | この頃、東京湾が放射能に汚染される。 | WSP | |
21:00 | 原子力安全委員会 SPEEDI試算を初公表 | 朝日 | |
2011年3月24日 | 14 日目 | 東京都、水道水の摂取についての呼びかけ解除 皇后陛下は、日本看護協会副会長を皇居に招いて救護活動 (放射線健康管理等) について説明を受ける。 (宮内庁) 放射能の放出は、この日以降、少なくなる。 |
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東北道全面再開 | 河 | ||
ガソリン価格 159円突破 | 朝日 | ||
台湾の料理店 日本食材の安全 客前で測り証明 | 朝日 | ||
13:42 | 東電、東扇島火力発電所1号機、発電再開 | ||
18:20 | 計画停電はじまる。22:00まで | ||
2011年3月25日 | 15 日目 | 政府は、福島第一原発の半径30km圏内の住民に自主避難を勧告。 | |
18:20 | 計画停電はじまる。22:00終了。 | ||
20:36 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
2011年3月26日 | 16 日目 | 土曜日。「死者一万人超す」 (河) 。 計画停電の5グループを、わかりやすくするために25グループに改訂。 |
朝日 |
宮城県警発表。避難誘導中に殉職した警察官は10名。行方不明は4名。 | 読売 | ||
震災で内定取り消し拡大 | 朝日 | ||
2011年3月27日 | 17 日目 | 「集団避難 動き相次ぐ」 (河) 、「炉内の核燃料 損傷進む」 (読) 、「集団疎開 ごめんね」 (朝日) | |
19:23 | ゆりあげ港朝市、再開。 | 河 | |
19:23 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
2011年3月28日 | 18 日目 | 最後の計画停電。東京で桜開花。 「宮城 がれきは23年分相当」 (朝日) |
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トヨタ、ホンダ、一部生産再開。 (GM、オペル、フォードなどにも、日本からの部品材料調達ができなくなり生産に影響があった) | 朝日 | ||
7:24 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
9:20 | 最後の計画停電はじまる。13:00終了 | ||
センバツ高校野球 東北高(宮城)0-7大垣日大(岐阜) | 河 | ||
2011年3月29日 | 19日目 | 「宮城 被害額1兆円超」 (河) 、「プルトニウム 微量検出」 (読) サッカー日本代表対J選抜慈善試合、大阪長居。 |
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燃料不足。仙台市太白区、ガソリン店へ車列2.5キロ。 | 朝日 | ||
仙台地検と福島地検は、容疑者ら61人釈放。捜査困難のため。 | 河 | ||
コンタクト 長時間は避けて メーカーが無償提供 | 朝日 | ||
2011年3月30日 | 20 日目 | 「宮城 被災車両14万6000台」 (河) 、「建屋 特殊布で覆う案」 (朝日) | |
天皇皇后両陛下は、外務事務次官を皇居に招いて外国からの支援について説明を受けた後、足立区の東京武道館に東北地方太平洋沖地震に伴う避難者をお見舞。今震災のお見舞いの第一弾 | 宮内庁 | ||
宮城沿岸 水没18日。東松山市では市街地の約2平方キロが水につかったまま。肉親捜し阻む。 | 読売 | ||
タイ発電公社(EGAT)、東電に発電機2基を丸ごと貸与へ。 東日本巨大地震の影響で電力の供給能力が低下している東京電力に、発電機2基を周辺の設備も含めて丸ごと無償で貸し出すことを決めた。 | 読売 | ||
2011年3月31日 | 21 日目 | 「宮城 沿岸3高校 移転へ」 (河) 、「東電会長 廃炉認める」 (朝日) | |
2011年4月1日 | 22 日目 | 上野動物園再開、来日していたパンダ初公開。 「宮城 被害額2兆円超」 (河) 、 「日米 不明者を一斉捜索」 (読) 天皇皇后両陛下は、防衛大臣と統合幕僚長を皇居に招き、自衛隊の活動について説明を受ける。 (宮内庁) |
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19:49 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
2011年4月2日 | 23 日目 | JR西日本、この日から、列車部品不足のため、運転本数減らす。 | 鉄 |
2011年4月3日 | 24 日目 | 「汚染水 海へ直接流出」 (読) | |
16:38 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
2011年4月4日 | 25 日目 | 政府は、「東北地方太平洋沖地震」の震災の公式名称を「東日本大震災」とする。 | |
JR東日本、首都圏の特急を再開。成田エクスプレス等。通常の6割。 | 鉄 | ||
農産物 出荷停止地域を細分化 解除条件も明確に | 朝日 | ||
天皇皇后両陛下は、大学教授ら4名を皇居に招き放射性物質の環境影響について説明を受ける | 宮内庁 | ||
18:29 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
2011年4月5日 | 26 日目 | 「原子炉冷却 進まず 1号機なお200度超 2号機続く水流出 2号機の漏水が海汚染の主因か」 集英社は物流困難のため少年ジャンプをネットで公開。 |
朝日 |
2011年4月6日 | 27日目 | 「魚介 野菜と同じ規制値」 (読) 、「1号機、窒素注入開始」 (読) | |
2011年4月7日 | 28 日目 | 強い余震起こる。「余震停電400万戸」 (朝日) | |
23:32 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
23:32 | 宮城県沖地震。宮城震度6強。死者4人。宮城県に津波警報。 | 理、気 | |
2011年4月8日 | 29日目 | 「震災孤児82人に 阪神大震災の68人を上回る」 (朝日) 政府は計画停電原則終了を宣言。当初は4月いっぱい続ける予定だった。 |
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天皇皇后両陛下は、埼玉県加須市の旧騎西高等学校に避難している被災者をお見舞 | 宮内庁 | ||
2011年4月9日 | 30 日目 | 「仮設初入居 希望の朝」 (読) | |
2011年4月11日 | 32 日目 | 1ヶ月経過するも、強い余震が起こる。 「震災1ヶ月 死者1万3013人」 |
河 |
17:16 | 余震の緊急地震速報発出 | 理 | |
17:16 | 福島県浜通地震。死者4人。 | 気 | |
18:05 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
20:42 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
2011年4月12日 | 33 日目 | 「福島第1 最悪レベル7 保安院発表 チェルノブイリ級」 (朝日) 「東北新幹線、東京~福島再開。リレー号乗り継ぎで、東京~仙台は最短で3時間2分」 (鉄) 天皇皇后両陛下は、東工大原子力工学研究所長を皇居に招き、福島原発について説明を受ける。 |
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8:08 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
10:23 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
12:20 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
14:07 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 | |
16:14 | 余震の緊急地震速報発出 | 気 |
以下、その後の経過を少々。
西暦日時 | 本震との時間差 | 出来事 | 情報源 |
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2011年4月21日 | 42 日目 | 政府は、福島第2原発周辺の避難指示を10kmから8km圏内に縮小 | 朝日 |
2011年4月29日 | 50 日目 | 東北新幹線、全線再開 | 鉄 |
2011年6月19日 | 101日目 | 九州新幹線開業百日祝い 博多駅 | |
2011年6月20日 | 102日目 | アルピニスト野口健、福島原発20キロ圏内(警戒区域)を訪問。畜舎につながれ、エサも水も無いまま斃死した大量の家畜の遺骸を発見。すさまじい光景。また、外に放たれて自由に出歩く家畜もいた。 | 本人のブログ |
2011年6月30日 | 112 日目 | 長野県中部地震。死者1人。 | 理 |
2011年7月18日早朝 | 129 日目 | 2011 FIFA女子ワールドカップでなでしこJapan優勝。世界一。ようやく社会全体に明かりが差すような、ニュース。 | |
2012年3月14日 | 370 日目 | 千葉東方沖地震。死者1人。 | 理 |
2012年3月31日しめ | 1年目 | 2011年度の食品の検査で放射性物質の基準値を超過したサンプル数の割合。 野菜類3%、果物類7.7%、豆類2.3%、米2.2%、福島県産の魚介類34.7% 、原乳4.6%、牛乳1.3%、菌床しいたけ2.5%、原木しいたけ33.3%。 | 消費庁 |
2012年4月1日 | 387日目 | 食品の放射性物質の基準値が改訂され、厳しくなる。厚生労働省医薬食品局食品安全部長発「食品中の放射性物質の新基準値施行に際しての検査の強化について」 | 厚労省 |
2012年4月19日 | 406 日目 | 福島第一原発1~4号機、書類上は廃炉となる | |
2012年7月20日 | 496 日目 | 福島第一原発の状況。1~3号機は循環注水冷却中。圧力容器底部の温度は、1号機38度、2号機50度、3号機49度。4号機の使用済み燃料プールの水温は35度。 | 朝日 |
2013年3月31日しめ | 2年目 | 2012年度の食品の検査で放射性物質の基準値を超過したサンプル数の割合。 野菜類0.03%、果物類0.3%、豆類1.1%、米0.0008%、福島県産の魚介類12.7% 、原乳0%、牛乳0.004%、菌床しいたけ0%、原木しいたけ14.1%。 | 消費庁 |
2014年1月31日 | 1058 日目 | 福島第一原発5~6号機、書類上は廃炉となる | |
2014年3月 | 1100 日目 | 避難者数 251,419人。復興庁まとめ。 | 復興庁 |
2014年3月27日 | 1113 日目 | 双葉町の伊沢史朗町長が、埼玉県上田清司知事に埼玉県加須市の旧騎西高等学校の鍵を返還。ここが最後の避難所となっていた。 | 福島民報 |
2014年3月31日しめ | 3年目 | 2013年度の食品の検査で放射性物質の基準値を超過したサンプル数の割合。 野菜類0%、果物類0%、豆類0.4%、米0.0003%、福島県産の魚介類2.8% 、原乳0%、牛乳0%、菌床しいたけ0%、原木しいたけ0.2%。 | 消費庁 |
2015年10月1日 | 4.5年後 | 2015年10月の国勢調査によれば、福島県の人口は1,913,606人。 これは震災前の2010年より115,458人の減少。5.7%の減少である。 女性は75,743人減少(7.3%減)。 男性は39,751人減少(4.0%減)。 富岡町、大熊町、双葉町、浪江町は人口ゼロ。 岩手県沿岸部(12市町村)の人口は251,325人で、22,761人減少(8.3%減少)。大槌町は23.2%減少。陸前高田市は15.2%減少、山田町は15.0%減少。 ただし、沿岸部の人口には復興事業の建設業関係者が少なくとも約3,800人含まれている。 岩手県全体の人口は1,279,814人で50,333人減少(3.8%減少)。 |
朝日 |
2017年3月14日しめ | 6年目 | 2016年4~12月で、食品の検査で放射性物質の基準値を超過したサンプル数の割合。 野菜類0%、果物類0%、豆類0%、米0%、福島県産の海水魚0% 、福島県産の淡水魚類0.6% 、原乳0%、牛乳0%、菌床しいたけ0%、原木しいたけ0%。 | 消費庁 |
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第2部: 震災への道:貞観津波 ~ 震災直前
西暦日時 | 本震との時間差 | 出来事 | 情報源 |
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869年7月13日 | 1142 年前 |
貞観の三陸沖地震、大津波。和暦:貞観11年5月26日。Mw8.4と推定。津波が多賀城下を襲い、溺死者約1000人。日本三代実録に記録あり。 二十六日癸未。陸奥国地大震動。(26日、陸奥国で大地が大きく震動した。) 流光如昼隠映。(謎の部分。「流れる光が昼のように闇を照らした(?)」。普通は流光とは流れる水面での光の反射をいうので、「うねった海水面からの反射光が昼のように明るく影を照らした(?)」) 頃之。人民呼。伏不能起。或屋倒圧死。或地裂埋殪。馬牛駭奔。或相昇踏。城倉庫。門櫓墻壁。落顛覆。不知其数。(このころ、人々は伏せて起き上がれず、家が倒れて圧死したり、地割れに埋もれた。馬や牛は驚いて互いに踏みつけ合った。城の倉庫、門、やぐら、壁は落ちてひっくり返り、その数は知れず。) 海口哮吼。声似雷霆。驚涛涌潮。泝漲長。忽至城下。去海数十百里。々不辨其涯。原野道路。惣爲滄溟。乗船不遑。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遺焉。(海はとどろき、雷のような音がした。怒濤がわき上がり、あふれた。たちまち城下にいたる。海から数十、数百里も離れているのに、どこが津波の終わりなのか分からない。野原も道路も全て海になった。船に乗るひまはなく、山にも登れず、およそ千人が溺死した。資産も苗もほとんど残らなかった。) |
理 |
1241年5月22日 | 770 年前 | 津波が鎌倉を襲う。 | 理 |
1611年12月2日 | 400 年前 | 慶長の三陸沖地震。津波発生し、伊達領下で死者1783人。南部・津軽で3000余の人馬死す。 | 理 |
1771年4月24日 | 240 年前 | 八重山地震、明和の大津波。死者行方不明者11,000人以上。人口激減し、その後も塩害に苦しむ。 | |
1792年5月21日 | 219年前 | 島原大変肥後迷惑。島原半島の眉山が大崩壊し海になだれ込み、大津波が発生。島原、熊本沿岸に甚大な被害 | 理 |
1843年4月25日 | 134 年前 | 釧路、根室、八戸など津浪。 | 理 |
1877年5月10日 | 134 年前 | 明治のチリ地震津波。釜石で津波3m。 | 理 |
1894年3月22日 | 117 年前 | 根室沖地震。津波高さ、宮古4m、大船渡1.5m。 | 理 |
1896年6月15日 | 115 年前 | 明治の三陸大津波。三陸沖で地震。死者21,959人。うち岩手が18,158人。津波高さ、大船渡市綾里にて38.2mに達する。これが国内史上最高記録。 | 理 |
1897年8月5日 | 114 年前 | 宮城県沖地震。津波高さ、盛5m。 | 理 |
1898年4月23日 | 113 年前 | 宮城県沖地震。小津波あり。 | 理 |
1923年9月1日 | 88 年前 | 関東大震災。死者不明者105,000人余。相模湾と房総で大津波。 | 理 |
1933年3月3日 | 78 年前 | 昭和の三陸大津波。三陸沖地震。死者不明者3064人。津波高さ、大船渡市綾里で28.7m。 | 理 |
1936年11月3日 | 74 年前 | 宮城県沖地震。小津波あり。 | 理 |
1938年5月23日 | 73 年前 | 茨城県沖地震。小津波あり。 | 理 |
1938年11月5日 | 72 年前 | 福島県沖地震。津波高さ、小名浜1m。 | 理 |
1944年12月7日 | 66 年前 | 東南海地震。津波発生。死者不明者1,223人。流失3059棟。 | 気 |
1952年3月4日 | 59 年前 | 十勝沖地震。津波高さ、三陸で1~2m。 | 理 |
1960年5月23日 | 51 年前 | チリ地震津波。24日2時ごろから襲来。死者不明者142人。津波高さは三陸で5~6m。 | 理 |
1968年5月16日 | 43 年前 | 1968年十勝沖地震。死者不明者52人。津波高さは八戸から宮古にかけて5m。 | 気 |
1971年3月26日 | 40 年前 | 福島第一原発1号機、営業運転を開始 | 国調 |
1973年6月17日 | 38 年前 | 根室沖地震。津波高さ、花咲で2.8m。三陸では小。 | 理 |
1974年7月18日 | 37 年前 | 福島第一原発2号機、営業運転を開始 | 国調 |
1976年3月27日 | 35 年前 | 福島第一原発3号機、営業運転を開始 | 国調 |
1978年4月18日 | 33 年前 | 福島第一原発5号機、営業運転を開始 | 国調 |
1978年6月12日 | 33 年前 | 宮城県沖地震。死者28人。 | 理 |
1978年10月12日 | 32 年前 | 福島第一原発4号機、営業運転を開始 | 国調 |
1979年10月24日 | 31 年前 | 福島第一原発6号機、営業運転を開始 | 国調 |
1982年4月20日 | 29 年前 | 福島第2原発1号機、営業運転を開始 | 国調 |
1983年5月26日 | 28 年前 | 日本海中部地震。津波で100人死亡。秋田県沖Mw7.7 | 理 |
1984年2月3日 | 27 年前 | 福島第2原発2号機、営業運転を開始 | 国調 |
1985年6月21日 | 26 年前 | 福島第2原発3号機、営業運転を開始 | 国調 |
1986年 | 25 年前 | 福島第一原発1号機で、定期検査でシュラウドヘッドボルトに損傷発見されるも隠蔽される。2002年に発覚する東電原発トラブル隠し事件の最初の例。 | |
1987年8月25日 | 24 年前 | 福島第2原発4号機、営業運転を開始 | 国調 |
1991年2月9日 | 20 年前 | 美浜原発蒸気発生器破断事故。日本における初の緊急炉心冷却装置 (ECCS) 作動。 | 日経 |
1993年7月12日 | 18 年前 | 北海道南西沖地震。奥尻島で大津波。死者202人。不明者28人。 | 理 |
1994年10月4日 | 16 年前 | 北海道東方沖地震。択捉島で大津波。花咲では津波高さ173cm。 | 理 |
1994年12月28日 | 16 年前 | 三陸はるか沖地震。死者3人。小津波あり。 | 理 |
1995年1月17日午前5時46分52秒。 |
16 年前 | 阪神淡路大震災。死者6,434人。不明者3人。 | 理 |
西暦日時 | 本震との時間差 | 出来事 | 情 |
---|---|---|---|
1999年9月30日 | 12 年前 | JCOウラン加工施設臨界事故。死者2名。我が国初の原子力災害死亡事故 | 民調 |
2000年11月 | 11 年前 | 国の地震調査研究推進本部地震調査委員会が「宮城県沖地震の30年以内の発生確率は99%」と想定を発表 | 宮城県防災会議 |
2002年8月29日 | 8年半前 | 保安院が、東電の福島第一、第二、柏崎刈羽の3つの原発での自主点検記録に改竄の疑いがあることを発表。 | 朝日 |
2002年9月2日 | 8年半前 | 東電は、原発トラブル隠蔽事件を受けて、荒木会長、南社長、平岩相談役ら5人が引責辞任 | 朝日 |
2002年11月24日 | 8年半前 | 1号機に、運転停止命令。保安院は、トラブル隠し事件を受けて、東電に対し福島第一原発1号機を1年間運転停止する行政処分。 | 朝日 |
2003年5月26日 | 8 年前 | 宮城県沖地震 | 理 |
2003年7月26日 | 8 年前 | 宮城県北部地震 | 理 |
2004年8月9日 | 7 年前 | 美浜原発蒸気噴出事故。死亡5人、重傷6人。 | 朝日 |
2004年10月23日 | 6 年前 | 中越地震。死者68人。 | 理 |
2004年12月26日 | 6 年前 | インド洋大津波。死者不明者227,898人。 | 理 |
2006年3月21日 | 5 年前 | Twitter始まる | |
2007年3月25日 | 4 年前 | 能登半島地震。死者1人。 | 理 |
2007年7月16日 | 4 年前 | 中越沖地震。津波高さ:柏崎で0.35m。 | 理 |
2008年2月 | 3 年前 | 東京電力のトップが集まる「御前会議」開催。国の地震予測「長期評価」に基づき、津波高さを「7.7メートル以上」と予測する資料が配られる。旧経営陣への裁判では、検察役側はこれをもって3被告が対策を了承したとする。元副社長武黒被告も元副社長武藤被告も了承を否定。 | 旧経営陣裁判2018年10月 |
2008年3月 | 3 年前 | 東京電力の常務会にて、「津波の評価が従前を上回る可能性あり」とする資料が配られる。議事録に提案は了承されたと記録。 旧経営陣裁判では、武黒被告(元副社長、当時原子力・立地本部長)は、「津波の評価についての説明は記憶にない」と主張。 | 旧経営陣裁判2018年10月 |
2008年6月 | 3 年前 | 東京電力の地震対策センター土木調査グループは、武藤栄副社長に対して、津波の想定として最大15・7メートルを報告。しかし、7月になり武藤副社長は、この津波高の採用見送りを指示した。武藤被告は2018年10月の公判での被告人質問でこれを否定。 | 2018年4月10日の東京電力旧経営陣に対する第5回公判での証言 |
2008年6月14日 | 3 年前 | 岩手宮城内陸地震。死者17人。 | 理 |
2009年夏 | 1.5 年前 | 保安院名倉繁樹安全審査官が、東電に対して具体的な原発の津波対策を求めるも、東電担当者は「原子炉を止めることができるのか」と拒否。 | 政調(追加公開分) |
2011年3月 | 直前 | 武藤栄東京電力副社長に、東電の担当者が原子力安全・保安院に津波対策を報告するとメールを送付。 武藤副社長は「話の進展によっては大きな影響がある」と返信。 次いで担当者は、「15.7メートル」と聞かされた保安院から対策の不十分さを指摘されたとメールを送信。 裁判で指定弁護士はこれらメールを示すも、武藤被告は「読んでいない。事故後に探したが見つからなかった」と主張。 |
旧経営陣裁判2018年10月 |
2019年9月19日、東京地裁(永渕健一裁判長)は、業務上過失致死傷の罪で強制起訴されていた、東京電力の旧経営陣、勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長の全員を無罪とする判決を出した。当時の津波のリスク評価の信頼性は十分ではなく、予見可能性が乏しく、津波対策工事が間に合うかも疑わしく、原発を停止することも困難であったとして、旧経営陣は無罪とした。
この文書について
3.11東日本大震災と福島第一原発事故の出来事、ニュースをタイムライン状に並べたものです。
転載も再利用も全くの自由です。(出典として当サイトの名前を表示しなくて結構です。)
新聞記事は、出来事の発生時刻が分かるものは、その時刻に配置しました。(よって、記事の新聞掲載日とは限りません。)
過去の天災の事例は、被害が特に大きいもの、および被災地の津波に関係するものを取り上げました。
震災の大混乱のためか、報道内容が後に分かった事実とは違っていることもあるので、正確なデータを調べるには最新のものを参照してください。ここでは、混乱状況を伝えるために、なるべく当時の報道をありのままに載せています。
輪番停電・計画停電の実績は、グループ割は複雑なので、開始時間と終了時間を記録するに留めました。
重要な事象以外にも、世相を反映する話題を適宜採録しています。
出典凡例
NHK: NHK、NNN: 日本テレビ系、河: 河北新報、朝日: 朝日新聞、毎: 毎日新聞、読: 読売新聞、気: 気象庁ホームページ、気2: 気象庁「平成23年3月地震・火山月報(防災編)」、規委: 原子力規制委員会、気仙: 気仙沼本吉地域広域行政事務組合消防本部「東日本大震災 消防活動の記録」、国調: 国会事故調、政調: 政府事故調、民調: 民間事故調、鉄: 新潮社 日本鉄道旅行地図帳 東日本大震災の記録、理: 国立天文台編「理科年表」(第86版)、2013. 、WSP: WSPEEDI (日本原子力研究開発機構)の放射性物質飛散状況推定. 消費庁:「食品と放射能 Q&A」(各年度のもの)。